わが身のほどを信じて

 先日ある本を読んでいたところ、直木賞作家の司馬遼太郎さんのこんな言葉に出会いました。

 私自身は
 われわれのような普通の者が
 お釈迦さんに近づけるとしたら、
 法然上人の道しかない、
 浄土門しかないなと思うのです

 司馬遼太郎さんは京都の新聞社に勤めていた時代、特に宗教のことを専門に記事を書いていた時期があったそうです。毎日様々な宗旨のお寺へお参りに行っては、僧侶の話に耳を傾けるという生活を送り、自然と自身の宗教観も養われていったことでありましょう。その中で、自分自身が救われるにはどうすればいいのかという問いに対し、法然上人の道。つまり阿弥陀仏のお力を信じてお念仏をお称えすること。これ以外に方法はないとされたのです。

 法然上人は頭脳明晰で、その上勉強熱心なお方でした。比叡山においても誰よりも戒を固く守り、誠実に修行に打ち込むその姿を見た人々は「智慧第一法然房」あるいは「浄行の僧」と称賛しました。ところがご自身のことについては、戒もろくに守れず、一瞬たりとも心を平静に保てない愚かな人間である。このようにおっしゃいます。

 ご謙遜とも受け取れますが、これこそ人間の本質を正確に見極めることができた法然上人ならではのお言葉なのです。そういう心の弱い私たちであるから、もはや阿弥陀仏のお力でしか救われないのだと、お念仏のみ教えを示して下さいました。

 弱さを隠すことなく、むしろ堂々と前面に出して導いて下さる法然上人のお言葉に、これまで多くの人たちが心打たれ、救われてきました。

 司馬遼太郎さんもその中のお一人でありますが、他ならぬ私たちの思いもまた同様です。法然上人のお念仏による他救いはないのだと心に留め、いつか必ず阿弥陀様が迎えに来て下さると信じ、これからも共にお念仏を相続してまいりましょう。

本山布教師 三浦宏純
宮城教区 充国寺