戦災にて焼失した旧徳川家霊廟は、現在の大殿南北(左右)に建ち並ぶ壮麗なものであったと伝えられています。昭和33年夏、文化財保護委員会が中心となって、発掘された土葬の遺体は、綿密な調査が行われた後、東京・桐ヶ谷にて荼毘にふされ現墓所に改葬されました。
正面右側に2代秀忠公の宝塔があり、焼失前の宝塔は霊廟室内に祀られ、大変大きなものでありました。しかし、惜しくも木造のため、戦災で焼失。現在は内室崇源院と共に合祀されています。
静寛院宮の宝塔は当時のもので、実際、家茂公と並んで祀られていました。宝塔は御夫婦同じ物でありましたが、家茂の石塔に対して青銅製であり、明治になってから造られた墓は、将軍の墓に対し、すべてに点において荒削り、不揃いであることからこんなところにも時代の変遷を感じることができるでしょう。特徴として菊の御紋章が掘り出されています。 |