今月のことばは、法然上人が著した『念仏往生義』より選びました。念仏するものは罪悪の軽重を問わず、本願のゆえに必ず往生することを説かれたもので、『拾遺和語燈録』に収められています。

 さて諸行無常の考えはお釈迦様の根本思想であり、仏教の中核をなすものです。すべてのものや出来事は常に変化してやまず、何一つとして一つのところに留まることはできないというものです。

 だからこそ受けがたい人の身を受け、遇いがたき仏教に出合っても、疎かにしているとこの世の無常は刻々と迫り、死の訪れは老若を選びません。すでに病気に冒されていることも知らず、死の訪れが迫っていることも気づかず日々の暮らしに汲々としてはいませんか。まさに生死の境は紙一重、今日ある生命は明日は無しという実に危なっかしい私たちであります。阿弥陀様はこんな無常で有限な存在である私たちを哀れみ、永遠の生命をもつ仏(無量寿仏)となられたのです。法然上人はこの阿弥陀仏の世界に往き生まれるためにはお念仏しかなく、ゆえに急がなければなりません。励まなければならないと強く説示されるのであります。

 ところでお釈迦様の晩年最期の教誡や、その時の様子を記した『涅槃経』によると、お釈迦様は私亡き後は「自らを灯明とし、法を灯明としなさい」また「すべては過ぎ去るものです。怠ることなく精進しなさい」と述べ涅槃に入られました。これは仏亡き後は仏法を依りどころ(法灯明)とし、その仏法を信受している自分を依りどころ(自灯明)にして、怠ることなく修行せよという最期の言葉です。

 この言葉はまさしく法然上人と全く同じで、念仏を実践する自らを大切に怠ることなく精進しなさい。急ぐべし励むべしであります。

教務部長 井澤隆明

増上寺