今月のことばは『拾遺和語燈録』の中にある「正如房へつかはす御文」の一節にしました。正如房は式子内親王のことで、後白河天皇の第三皇女であり、法然上人とも親交があって念仏の教えを受けられたお方です。

 現代文にすると「仏様のおっしゃることは一言も間違いないものですから、ただ素直に仰ぎ信ずるべきです」ということでしょう。

 仏教を信ずる者の態度としては当然のことであり、一番大切なことでありますが、ややもすると現代人は、ただ素直に仰ぎ信じることがとても難しいようです。人間の理性を重んじる近代文明は実証主義で科学的に証明されたものしか信じない傾向に展開しており、その中で築き上げられた世界観・人生観は見えないものを認めようとは致しません。

 人間の理性を重んじ生きている私たちは、たまには夜空に輝く星々の運行など人間を超えた崇高なものや、地球を取り巻く自然環境つまり森羅万象に働く力などをじっくり見つめてみたいものです。自分の小ささを感じるとともに、この小さな自分が損した、得した、好きだ、嫌いだ、憎い、悔しい、裏切られた等々右往左往している姿が見えてまいります。

 また日常生活の中で、あおぐ、したう、ふれる、しみる、わびるというような言葉で表現される体験を通して信仰を深めるということの一助としてみたいものです。

 さて「鰯の頭も信心から」という諺がありますが、私たちはどうでもよいものを信ずるのではなく、阿弥陀様、お釈迦様、善導大師、法然上人の言うことを信じるのです。法然上人は「信を一念にとり、行を一形に尽くすべし」と示され、一遍の念仏でも往生できると信じ、一生涯念仏を相続して下さいと示され、念仏を称え続けながら信も深めていくという立場です。しっかりお念仏を申しながら信受していきたいものです。

教務部長 井澤隆明

増上寺