陰暦十一月の異名は霜月といいます。いつの間にか霜が降る晩秋となりました。

 さて今月のことばは前月に続き『選択集』第八章「三心 [さんじん] 篇」より深心 [じんしん] についてお伝えしたいと思います。先月号に述べたように三心とは浄土に往生したいと願う者が発さなければならない三種の心で、そのうち深心とは深く信じる心であります。何を深く信じるかといえば阿弥陀様とその御国である極楽浄土の存在、そして阿弥陀様の本願(念仏)であります。これらを深く信じることができれば往生まちがいなしとなるのですが、なかなかこのことが信じられないのです。

 このことを法然上人は深心を詳しく説明される冒頭の部分で述べられているのが今月のことばであります。現代文にすると、我々を輪廻の家屋に留まらせるのは疑う心であり、悟りの都城 [みやこ] に入らせるのは信ずる心であります、となるでしょう。

 生死とは生まれてから死ぬまでのことで人生という意味と、他に生まれ変わり死に変わり生き続ける生死流転の人生という意味で輪廻と表現する場合もあります。輪廻は六道輪廻ともいいますが、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六つの世界(六道)をその時々の自らの行為(業)によってぐるぐると生まれ変わるとされています。またこの六道の世界はすべて苦の世界で、この六道を越えたところに苦しみのない仏の世界があるとされます。この仏の世界に至るのが悟り(涅槃)となるのですが、この悟りを得るには厳しい修行を通して到達する聖道門と、阿弥陀様の大慈悲にすべてを委ねていく浄土門があります。聖道門は難行道であり誰もが達成することは難しいが、浄土門は易行道といって阿弥陀様におすがりすることですからたやすい道であります。しかしここで大切なことは、阿弥陀様のお救いを深く信じることであり、これを「涅槃の城には信を以て能入と為す」と法然上人は述べているのです。

 大乗仏教の大成者である龍樹様も『大智度論』で「仏教の大海には信を以て能入す」と述べられています。

 しっかりと阿弥陀様を信じ、お念仏を申してまいりましょう。

教務部長 井澤隆明