今月は大正時代京都伏見区にある真言宗醍醐寺三宝院にて発見された『法然上人伝記』(醍醐本)に収録されている「三心料簡事」から選んでみました。

 三心とはお念仏を申す人の心のあり様(あんしん:安心)で、至誠心(しじょうしん:まことの心)深心(じんしん:深く信ずる心)回向発願心(えこうほつがんしん:浄土に往生したいと願う心)をいいます。また料簡とは考える、調べるという意味です。

 浄土宗ではお念仏行者の安心を一応三心に別けて伝えますが、すべて唯助けたまへの一心に帰結するので三心即一心と致しております。

 さてこの一心について『阿弥陀経』の中に「若一日〜若七日一心不乱」と述べられておりますが、このことについて法然上人がわかりやすく説かれたのが今月のことばです。内容は、一心とは何に心を一つにするかといえば、ひたすらお念仏を称えることで阿弥陀様の御心と私の心が一つになります、ということでしょう。

 さらに今月のことばに続いて法然上人はこのことを理解しやすいように、人々の恋愛になぞらえて、次のようにお話しになっています。

 そして世間でいうなら、恋する人の想いを、恋慕われている人が受け止め、互いの心がぴたりと合って必ずその恋が成就するようなものです。恋する人というは阿弥陀様のこと、恋慕われている人というのは私たち衆生を指します。ひたすら阿弥陀様に心を向ければ、速やかに阿弥陀様の御心と一つになるのです。ですから一心不乱というのです(浄土宗総合研究所監修『法然上人のご法語』)。

 ところで法然上人が人々の恋愛を譬えにされて教誡をされるのは大変珍しいことであります。

 この中特にありがたいのは、恋する人というのが阿弥陀様であることです。煩悩具足の私たちを決して捨てはしないと恋していただいているのです。恋慕われている私たちはこの心を受け止め、しっかりお念仏を申していくところに一心の境地が展開されるのです。

 よくよくお念仏を称えてまいりましょう。

教務部長 井澤隆明