暑い毎日が続きますが、暦の上では秋を迎え彼岸の月となりました。

今月のことばは法然上人の『念仏往生義』の中より選びました。意味は、阿弥陀様は大慈悲心の本願をもって、罪悪の軽重を問わず、すべての人をあわれみ、善人も悪人も分け隔てなく彼岸の浄土に渡していただくのだけれども、善人を見ては喜び、悪人を見ては悲しまれるのです、ということでしょう。

さてここでいう悪人とはどのような人なのでしょうか。一般的には犯罪者とか道徳に反した人をいうのですが、浄土教ではどのような人を指すのでしょうか、述べてみましょう。

『華厳経』に「我昔諸造諸悪業・皆由無始貪瞋痴」という懺悔文があります。
私が造るところの多くの悪い行いは、始めのわからない昔から私に備わっている貪(むさぼり)瞋(いかり)痴(おろかさ)によりますという三つの根本煩悩を示しています。この煩悩のさらに大本は仏教では無明と致しております。無明とは明るくない暗い闇のことで、ここでは何も見えず、何もわからず間違いばかりをしてしまうのであります。

それでは無明はどうしてあるのかを、法然上人は『選択集』の冒頭に中国の道綽禅師の『安楽集』の文を引用して述べています。「一切衆生は皆仏性有り、遠功よりこのかたまさに多仏に値いたてまつるべし。
何によってか今に至るまで、なを自ら生死に輪廻して火宅を出でざるや」と記し、すべての人に仏と同じような仏性があるのに、六道輪廻して生まれ変わり死に変わりしてきた間、多くの仏に出値いながら、その教誡に耳を傾けない、不信の心が無明の根本原因であるとし、このような不信の人こそ悪人であるとしています。

このような悪人を含めすべての人を救う願いを発されたのが阿弥陀様ですが、その上でなお仏に目を向ける人を見ては喜ばれ、そうでない人を見ては悲しまれるのです。

阿弥陀様が悲しまれないようお念仏を申しましょう。

教務部長 井澤 隆明

増上寺