今月のことばは『一枚起請文』より選びました。法然上人が八十年の生涯を終え、お浄土に還られる二日前の建暦二年正月二十三日に、十八年の間常随給仕された勢観房源智上人に授けられたものです。

 私たち浄土門の人は朝夕のおつとめには必ず拝読する大切なご法語であります。特に「智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし」との結語はよく知られ、私たちの信仰生活を支える言葉であります。しかしこの結語は、表記の言葉によって成立するもので、このご法語こそが『一枚起請文』の中心となるものです。

 現代文にすると、ひとえに阿弥陀仏の極楽浄土に往生するには、南無阿弥陀仏と申し、その一声一声のお念仏が、お浄土にお迎え下さるのだと心から信じて、称えるほかはありません、となるでしょう。

 極楽浄土とは人類理想の極を尽くし、万人すべてが渇仰する最高究竟の世界で、そこに生きゆく道(往生)を示されたもので、このご法語の中でも最も肝要なところであります。

 選択本願の念仏とは、阿弥陀様がどんな最悪愚劣な者も等しく救うために、五劫の間思惟し諸仏の国土の万善万行から念仏の一行を選び、他を捨て本願とし成就したものであります。阿弥陀様は成仏される前は法蔵菩薩と申しますが、やがて仏になられるようなお方が五劫もの長い時間思惟して本願を定められたことを考えると、人間の罪業の深さを知らしめられ、また阿弥陀様の大慈悲を思うばかりです。

 この仏の本願によるが故に、ただ念仏一つで往生できるということは、法然上人の言葉であると共に、阿弥陀様の本願より発せられる絶対的価値を持つ言葉なのであります。だからこそ『一枚起請文』の最後において「ただ一向に念仏すべし」と結んでいるのです。

 しっかりお念仏を申しましょう。

教務部長 井澤隆明