2月は3日に節分追儺式、15日は涅槃会など行事が続きますがご参詣お願いします。

 さて今月のことばは、法然上人が述べ聖覚法印が筆録したといわれる『登山状』から選んでみました。念仏がしだいに興隆すると、比叡山や興福寺など旧仏教側が専修念仏批判を強めましたが、それを和らげるために書かれたものとされています。この書は比叡山に送られたので『登山状』と言われているが、別に「元久法語」とも呼ばれています。その主旨は、念仏は諸宗の妨げにはならないことを述べ、さらに念仏すべき理由を様々な角度から実に格調高い文章で述べています。

 今月のことばの内容は、表記しなかった前後を含めて述べると次のようになります。

 『般舟三昧経』に跋陀和菩薩が阿弥陀仏に「どのような行を修めれば阿弥陀仏の極楽浄土に往生できますか」と尋ねると、阿弥陀仏は「我極楽浄土に往生しようと願う者は、常に我が名を称えて休むことがあってはならない。そうすれば我極楽浄土に往生することが叶うであろう」と述べ、続いてこの経に、これ又弘願(本願)のむねを仏みづからの給えりと説いています。

 この『般舟三昧経』は漢訳浄土経典の中でも最も古いもので、阿弥陀仏を念じる行を中心に説かれているものですが、この中で跋陀和菩薩の問いに対して阿弥陀仏が自ら我が名を称えれば必ず往生することができると答えているのです。これは実に力強く、ありがたく、頼もしいかぎりであります。阿弥陀仏の「我名を称えよ」という呼びかけに応じてしっかり念仏を相続してゆかなければなりません。

 なお、『登山状』により一時専修念仏批判は落ち着きを見せましたが、再び法難は続いて法然上人は苦難の道を歩まれることになります。しかしながら幾多の法難にも決して退くことなく、専修念仏一途に生きられたのは、阿弥陀様に対するゆるぎない信心が確立し、念仏信仰に生きられたからなのです。

 私たちも阿弥陀様の大悲招喚の声に応じてしっかりお念仏を申してゆきたいものです。

教務部長 井澤隆明