徳を積む者は
今生に喜びを見出し
後生に喜びを見出し
双方で喜びを見出す


令和8年1月 ブッダ『ダンマパダ』第18偈より


 「今年も」なのか「今年こそ」なのか、新年を迎えて多くの人が「良い年でありますように」と神社仏閣に詣でて祈ります。新しい自分に生まれ変わりたいと望み、良いご縁に恵まれたいと願っているのです。

 とはいえ今日の私と明日の私。新年を迎えたからといって、急にどうこう変われるものでもありません。私は寒くなるとよく鼻を詰まらせ、鼻風邪の症状を繰り返します。この冬も既に一度、症状が現れました。「ああ、あの時が原因かも」と何となく思い当たります。「もう一枚重ね着をすればよかった」とか、「夜道をほっつき歩かずに早く帰ればよかった」とか。もちろん、そう思ったところで取り返しはつきません。「ももを冷やすと風邪ひくよ」という、幼い頃に聞いた祖母の教えも、症状がひどくなってから思い出す始末です。

 仏教は、何か原因があって今という結果があり、未来という結果が現れると、そう考えます。善いことをしていれば今に好ましい結果が現れ、未来もそうなる。悪いことをすれば、それなりの結果となる。それがいつになるかわからないけれども、できうる限り善いことを繰り返し、悪いことを繰り返さないようにするのです。でも結果が現れる前に、今、何が何の原因になっているのか、一つ一つ未来を予測しながら日常を送ることなど、少なくともこの私にはできません。案の定、この冬も新年を迎える前に鼻風邪をひいてしまいました。

 ブッダは徳を積む者は今生にも後生にも喜びという結果を見出すと説きました。この冬、早々に鼻風邪をひいた私ですが、今年も来年も良い年であるよう喜びを見出したいと思います。それにしても、どのような徳を積めばよいのか。法然上人は「専らお念仏を称えることは、必ず今生にも後生にも通じる祈りになるものです」と示されました。まずはお念仏を称えてから考えればいいのかなと思います。

教務部長 袖山榮輝