慈心を行じ
魔怨を却ける
令和7年12月『仏説太子瑞応本起経』より
今年も「今年の漢字」や「流行語大賞」が発表となる時期を迎えました。この1年、私が気になったのは大リーグの野球中継で耳にした「支配」という言葉の使い方でした。
この秋、私はアメリカ大リーグの試合が気になり、日本人選手の活躍に釘付けになっていました。そうした中、およそピッチャーの視線からでしょうか、試合を中継するアナウンサーが「打者を支配している」「支配的なピッチング」「試合を支配する」というように「支配」という言葉を用いて実況していました。相手のバッターに手も足も出させず手玉に取ってみせる、そうしたピッチングの様子を支配と表現しているのです。
それにしても一昔前に、そうした使い方があったでしょうか。調べてみると、もともと本場、大リーグの英語の実況においては支配と訳せる言葉を使う場面があり、日本で大リーグ中継が身近になるにつれ、日本語の中継でも支配という使い方が用いられるようになったのです。支配というと高圧的な主従関係をイメージしますが、ことピッチングにおいてはバッターに本来の力を発揮させず、無力化させることを意味しているようです。
ブッダ(お釈迦様)が覚りを開き仏となられた時にも、支配といえる場面がありました。仏教では己の煩悩をしばしば悪魔にたとえます。修行を重ね覚りの境地を目指すブッダに煩悩という悪魔が襲い掛かります。しかしブッダは悪魔の襲撃に少しも動揺せず、やがて悪魔を支配し、無力化して立ち去らせます。己の煩悩を無力化したブッダは覚りの境地に達し仏となられました。この間、ブッダには慈悲の心が溢れていたといいます。慈悲の心をめぐらすことで己の煩悩を支配し、しりぞかせ、そうしてこの世にブッダという御仏が誕生したのです。12月8日の夜明け前のことであったと伝えられます。
教務部長 袖山榮輝







