雛飾りつゝ
ふと命惜しきかな


令和8年3月 星野立子


 人には、自分以上に愛しく思える他人がいるものか。古代インド、コーサラ国の国王パセーナディは愛する王妃マッリカーにそう尋ねたといいます。王妃は国王を愛していましたが、自分以上に愛しい者はいないと答えました。実は国王も王妃と同じように思っていました。自分以上に愛しい者はいない、そう思う自分は薄情者なのだろうかと悩んでいたのかもしれません。国王はブッダ(お釈迦様)にも同じ質問を投げかけてみました。

 ブッダは国王に「世界中を注意深く見回してみても、人は自分より愛しい者に出会うことはない。人は自分が愛しい。だからこそ自分が愛しい者は他人を傷つけてはならない」と答えました。自分と他人は表と裏、自分と同じように他人を慈しむがよい、と諭したのです。

 誰よりも我が身を愛しく思うのが人間である。そうした人間観はブッダも法然上人も同様のようです。法然上人は「たとえ地獄に堕ちるような生きざまであったとしても、我が身が愛しいのが人間であるのだから自分をいたわりなさい。まして極楽往生を目指してお念仏を称えている身であれば、なおさら我が身を大切になさい」と諭されています。

 昭和59年の3月3日、高浜虚子の娘で俳人の星野立子は80歳で亡くなりました。「雛飾りつゝ」の句は、おそらくは晩年に詠んだもの。お雛様を飾っているうちに、娘が生まれた時のこと、初めてお雛様を飾った時のこと、様々な出来事が愛しく思い出される一方で、私はあと何回、お雛様を飾ることができるだろうかとの思いがよぎります。残された時間、自分を愛しんでおきたいという気持ちと同時に、万物を慈しみながら生きていこうという立子の思いが伝わります。「ふと命惜しきかな」と自分を愛しむことと他人を慈しむことは表と裏。ブッダや法然上人なら、そう読み取るに違いありません。

教務部長 袖山榮輝