貴方も私も誰もが
仏の救いにあずかれる
ともに極楽に生まれ
我らも仏となろう


令和8年4月 総願偈(出典:源信『往生要集』)より


 デスクの上の白い電話機、その上を小さな黒い点が素早く移動していました。視界の中に黒い点が混じるようになった私にも、それが小さな黒い蜘蛛と分かりました。だんだんと暖かくなってきたのです。ふと芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を思い出しました。

 極楽浄土の池の畔でたたずむブッダ(お釈迦様)が池の底をのぞいてみると、ずっと底の方に透けて見える地獄の池の中に、極悪人の犍陀多(カンダタ)という男がうごめいていました。彼が一度だけ、小さな蜘蛛を踏みつぶそうとしながらも情けをかけて思い止まったことを思い出したブッダは、彼を地獄から救ってあげようと思い立ちます。たまたま極楽の池の蓮のうえでは1匹の蜘蛛が銀色の糸をかけていました。ブッダはその糸を手に取り彼に向けて下ろしてあげたのです。

 その先の話は皆さんがご承知の通り、犍陀多は極楽へと続くその糸を手繰って昇っていきますが、ふと下を見ると地獄にいた大勢の罪人たちが同じように蜘蛛の糸を手繰って昇ってきます。彼が怒って「下りろ、下りろ」と喚き散らすと、途端に蜘蛛の糸は断ち切れ、彼は再び地獄へと堕ちていくのです。

 仏教的な要素を盛り込んだこの作品には、一人よがりになる人間の愚かさ、悲しさが描かれています。犍陀多は極楽浄土でどのような景色を見たかったのでしょうか。たった一人で過ごす己の姿でしょうか。はたしてそこに幸せがあるでしょうか。

 ブッダは、阿弥陀仏が極楽浄土に人々を迎え入れるに人数の制限を設けないと説いています。貴方の幸せが私の幸せ、そう思える人で溢れているのが極楽といえます。

 冒頭のことばは、総願偈という経文を締めくくる一節を解釈してみました。4月、一生どころか後生もともに歩みたい、そう思える出会いがあるかもしれません。

教務部長 袖山榮輝