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堂宇の配置
大門から大殿本堂に至る道のりは、穢土(我々の世界)から極楽浄土に至る世界を表している。三門をくぐり煩悩を解脱し、大殿阿弥陀仏の元へと向かう。ご本尊阿弥陀仏が鎮座する大殿は西方極楽浄土の如き、方角を西に位置する。よって大殿内の荘厳は極楽の世界を視覚的にも表現した造りとなっています。  

  大殿に登る階段 25菩薩をあらわし、25の階段となっています。  
   
  参道から大殿前に至る階段 18段。阿弥陀仏の本願、第18願。  
   
  三門から大殿 距離にして約48間。阿弥陀仏の48願。  
   
  大門から三門 約108間。三門をくぐり108の煩悩から解脱します。  
   

 
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大殿
  昭和四十九年、伝統的な寺院建築様式の中に現代建築の枠を結集して再建されました。本堂に御座します、ご本尊阿弥陀如来(室町期製作)は、両脇壇に高祖善導大師と宗祖法然上人の御像が祀られ、参拝される方々の厚い信仰をあつめています。大殿は、浄土宗大本山としての根本道場をはじめ、あらゆる儀式法要が行えるよう斬新な企画で設計されました。

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安国殿、祈願受付・販売物のご案内はこちらから
  恵心僧都の作と伝えられる秘仏黒本尊(阿弥陀如来)が祀られています。(御開帳・祈願会、正月・五月・九月の十五日)黒本尊は家康公が深く尊崇し、そのご加護により度重なる災難を除け、戦の勝利を得たという霊験あらたかな阿弥陀如来像で、勝運・厄除けの仏様として江戸時代以来、広く人々の尊崇をあつめています。

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天井絵詳細ページに移動する
  「光摂殿」内にある百八畳敷の大広間。その部屋には日本画家120名の諸先生が描かれた天井絵が嵌めこまれております。諸先生お一人お一人が、四季折々の草花をテーマに丹精込めて製作されました。これほど多くの画家による天井絵は大変貴重であり、豪華極まりないものであります。しかし、なんといっても天井絵は寺院の天井を荘厳し、目に触れた人をして極楽浄土の草花を想像し、欣慕の情をかりたてる功徳を具えているのです。

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芝縁(しえん)
  定休日:毎週火曜日
営業時間:10:00〜16:00
お問い合わせ先:03-5473-7087

メニュー:甘味・うどん・そば・定食など
夏季限定:ソフトクリーム・カキ氷

季節の野菜を使った日替わり定食や、身体にやさしいおばんさい定食など、四季自然を感じられる旬の素材を使った体にいいお料理をお召し上がり頂けます。

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★おばんざい定食 ¥700
ランチタイム限定1日15食。煮物、和え物、卵焼きなど、季節の食材8品の「おばんざい定食」は、健康志向の方に大人気。



 



光摂殿詳細ページに移動する
  二十一世紀を迎え、「心を洗い、生きる力を育てる」ための講堂、道場として、光摂殿が完成しました。その大広間の格天井には、日本画壇の画伯方が精魂込めて描かれた草花図が奉納されてはめ込まれ、百華となって花開きます。その天井絵は二十一世紀への美術遺産として伝えつがれ、集う人に計り知れない功徳となることでしょう。

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鐘楼堂
  鐘楼堂は寛永十年(一六三三年)に建立されたが、現在の鐘楼堂自体は戦後の再建によるものであります。鐘楼堂に収められている大梵鐘は、延宝元年(一六七三年)にあまりの大きさに七回の鋳造を経て完成し(東日本で最大級といわれております)、江戸三大名鐘の一つに数えられています。朝と夕べ、六度ずつ響くその鐘の音は、時を告げるだけではなく、人を惑わす百八の煩悩を浄化し、人々の心を深い安らぎへと導く六度の誘いでもあります。江戸時代の川柳には「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」・「江戸七分ほどは聞こえる芝の鐘」・「西国の果てまで響く芝の鐘」等と謳われ、江戸っ子鐘と親しまれています。

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大門
  当山の総門・表門にあたり、地名の由来になっている門です。現在のものは国道の通行整備のため、昭和十二年に原型より大きく、コンクリート製に作り直されたものですが、旧大門は慶長三年(一五九八)に江戸城の拡張・造営にあたり、増上寺が芝に移転した際、それまで江戸城の大手門だった高麗門を、徳川家康公より寺の表門として譲られたものでありました。その旧大門は大正十二年(一九二三)の関東大震災により倒壊しかかったため、両国・回向院に移築されましたが昭和二十年の空襲により焼失。

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水盤舎
 

もと清揚院殿霊廟(甲府宰相綱重・三代家光公三男)のものであり、明治時代の解体・昭和の空襲を逃れたものを、現在地に移築したもの。徳川将軍家霊廟建築を伝える数少ない遺構のひとつであります。

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大納骨堂(舎利殿)
 

当山の大納骨堂は昭和8年(1933年)に建立され、御本尊は高村光雲氏作をもとにした地蔵尊像であります。戦災の難を逃れた数少ない建造物で、昭和55年に現在地に遷座、開眼供養が厳修されました。当山に有縁無縁のご本骨、ご分骨が収められ、永久におまつりされております。当山では広く皆様のご納骨堂として解放しており、ご法縁を結ばせて頂いております。

ご納骨のお申込はこちらから。

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三解脱門(三門)
  増上寺の表の顔として、東京都内最古の建築物にして東日本最大級を誇るこの門は、当山の中門にあたり(表門は大門)、正式名称を三解脱門といいます。元和八年(一六二二年)、徳川家康公の助成により、江戸幕府大工頭・中井正清とその配下による建立。増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されています。三解脱門とは三つの煩悩「(むさぼり)、(いかり)、(おろかさ)」を解脱する門のことです。建築様式は三戸楼門、入母屋造、朱漆塗造り。唐様を中心とした建物に、和様の匂欄などが加味され、美しさを見せています。二階内部(非公開)には、釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されています。

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徳川将軍家墓所詳細ページに移動する
  この門は旧国宝で「鋳抜門」とよばれ、もと文昭院殿霊廟(六代将軍 徳川家宣公)の宝塔前『中門』であったものです。左右の扉に五個づつの葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている(青銅製)。規模は勿論のこと、その荘厳さにおいても日光東照宮と並び評された往時の姿を今に伝える数少ない遺構であります。

増上寺は東京上野の東叡山寛永寺(天台宗)と共に徳川将軍家の菩提寺で、当山に埋葬されているのは、二代秀忠公・六代家宣公・七代家継公・九代家重公・十二代家慶公・十四代家茂公の六人の将軍のほか、崇源院(二代秀忠公夫人)、皇女和宮さま(十四代家茂公夫人)ら五人の正室、三代家光公側室桂昌院(五代綱吉公実母)はじめ五人の側室、及び三代家光公第三子甲府宰相綱重公ほか歴代将軍の子女多数が埋葬されています。旧徳川将軍家霊廟は御霊屋ともよばれ、増上寺大殿の南北(左右)に立ち並んでおりました。墓所・本殿・拝殿を中心とした多くの施設の数々からなり、その当時の最高の技術が駆使された厳粛かつ壮麗な霊廟は、いずれも戦前国宝に指定されていましたが、昭和二十年三月十日に北廟六十八棟被災、五月二十五日に南廟二十八棟被災、二度にわたる空襲直撃でほとんどが焼失し、わずかに残った建物もその指定を解除されました。

焼失した御霊屋郡はしばらくのあいだ荒廃にまかされていましたが、昭和三十三年から文化財保護委員会が中心となり、詳細なる学術調査が行なわれ、のち土葬であった御遺体は桐ヶ谷にて荼毘に付され、南北に配していた墓所は一か所にまとめられ現在地に改葬されました。調査によれば細部では各将軍若干の違いあるも、埋葬の構造的には、まず地中かなり深い部分に頑丈な石室を設け御遺体を安置し、二枚の巨石をふたにして、その上に基檀と宝塔は安置されていたといわれます。

増上寺御霊屋(徳川将軍家墓所)特別公開日
1月15日 正五九祈願会
4月2〜8日 御忌大会・ふれあいフェア期間中
5月10日 景徳祭
5月15日 正五九祈願会
9月15日 正五九祈願会
10月2日 静寛院宮奉讃法要
10月中旬 みなと区民まつり(2009年は10月10日・11日)

【公開時間】 10時〜16時
【料金】 無料

※上記以外、通常の一般公開はしておりません。
※団体参拝のご予約は施設部接伴課(せっぱんか)団参係まで

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経蔵
  徳川家康公の助成により建立された経蔵は内部中央に八角形の輪蔵を配する、九間半四面、土蔵造りの典型的な経蔵で、都の有形文化財に指定されています。中に収蔵されていた宋版、元版、高麗版の各大蔵経は、家康公が増上寺に寄進したもので、国の重要文化財に指定されています。(現在は後方の収蔵庫に移管)

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黒門
  御成門交差点付近の芝公園・みなと図書館・御成門小学校一帯にあった増上寺方丈の表門であった旧方丈門であります。三代将軍家光公の寄進・建立とされ、慶安年間(一六四八〜一六五二)の建立とされております。明治時代に増上寺方丈が北海道開拓使となり、その後海軍施設と芝公園となったおり、鐘楼堂脇に移築したものを、昭和五十五年に当山通用門として日比谷通り沿いに移築したもの。

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貞恭庵
  十四代家茂公御正室、皇女和宮さまゆかりのお茶室。昭和五十五年に移築・改修し、一般にも利用されるようになりました。

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グラント松(ヒマラヤ杉)
  明治十二年(一八七九)、アメリカ合衆国第十八・十九代大統領グラント将軍が訪日の際、参拝記念に植樹されたもの。

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千躰子育地蔵尊
  子育て安産に霊験あらたかとされる西向観音にちなみ、子供の無事成長、健康を願い昭和50年より順次奉安されております。毎年4月に大祭、7月には盆踊り大会が開催されます。

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め組供養碑
  享保元年(一七一六)建立。増上寺門前の町火消しで有名な「め組」の殉難者・物故者の供養のために建てられました。(増上寺山内は寺社奉行・大名火消しであった)

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熊野神社
  元和十年(一六二四)、当寺第十三世正誉廓山上人が熊野権現を増上寺鎮守として東北の鬼門に勧請したもの。『熊野』は「クマノ」・「ユヤ」と二通りの呼称がありますが、当山では「ユヤ」権現として親しまれています。

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