桜より新緑に衣替えしましたが、いつの季節もそれぞれ美しい増上寺の境内です。

 さて今月のことばは、法然上人の著作である『選択本願念仏集』第三章「念仏往生本願篇」より選びました。『選択集』は法然上人が66歳の建久9年(1198年)の時、前の関白九条兼実公の懇請により、本願念仏の教えを記した浄土一宗の要義を示されたものです。

 現代文にすると、念仏は容易であるからあらゆる人に通用し、諸行は困難であるからあらゆる人に通用するわけではありません、となるでしょう。

 法然上人は同書において、念仏を勧めることは他の多くのすばらしい行をやめよというのではありません。ただ念仏は男女・身分・歩く・坐る・止まる・寝るなどの区別なく、時・場所などの縁に関係なくたやすく修することができます。さらに臨終の間際に往生を願うに念仏に勝るものはありません。このようなわけで念仏はあらゆる人に通用し、諸行は困難であるからあらゆる人に通用するわけではないということが理解できるでしょう、と述べられています。

 私もかつて座禅の指導を受けたことがあります。初めての経験なので49分位でしたが、何も考えずにただ座れと指導を受けましたが、最初から最後まで様々な思いが次から次から起こり一瞬として無の境地などなれませんでした。心が乱れると姿勢が乱れ警策の注意をいただき、座禅の難しさを体験致しました。しかしながらこの時、阿弥陀様はなぜ念仏を本願とされたかということの一端が受け止められたような気が致しました。

 阿弥陀様の慈悲は広大であり、条件を付けずすべての人を救うためにお念仏を本願とされ、そこに仏の功徳のすべてを凝縮されたのです。しっかりお念仏を申してまいりましょう。

教務部長 井澤隆明