穏やかに微笑み
優しく語りかける
これもまた
菩薩の修行である


令和7年6月 『仏説無量寿経』より


 怒っているつもりはないのに「ほら、また怖い顔して」と指摘されることがあります。「そんないい方しなくてもいいのに」と叱られることもあります。もちろん私のことです。自分の表情やことば遣いなどいちいち気にしていては何もできないと思うのですが、そもそもそれが心得違いなのかもしれません。怒りが滲み出ている顔を向けられて喜ぶ人などいるはずもない、棘のある言葉や怒りを含んだ強い口調で迫られれば誰だって平常心ではいられなくなる。わかってはいるのですが、性懲りもなく繰り返しては指摘され叱られています。

 ブッダ(お釈迦様)は「人は口の中に生まれついての斧がある」とお説きになりました。人間はことばひとつで誰かを傷つけることができる、それが生来の人間の性分に他ならない、との指摘です。さらにブッダは続けて諭します。「その斧で、口悪く話している自分自身を断ち切ってしまう」(『スッタニパータ』第657偈参照)と。ことば遣いひとつが人の心を不快にさせ傷つけてしまうばかりか、自分自身をも断ち切ると、発することばの危うさを説き示されました。怒りの心や自分中心の思いをことばにすると他人ばかりか、自分自身をも滅ぼす。だからこそ人を思いやりながら、ことばを大切にする。ブッダのことばから学び取れることです。

 仏の境地を目指す者のことを菩薩といいます。阿弥陀仏にも菩薩として仏を目指す修行の時代がありました。その様子を描く経典の中に、相手の思いを察しながら「和顔愛語」をもって語りかける菩薩時代の阿弥陀仏の姿が示されていました。性懲りもない私ですが、人の心を傷つけ、自分自身をも断ち切る斧は使いたくもありません。たとえ少しでも菩薩の真似事をしてみよう、今さらながらそう思うのです。

教務部長 袖山榮輝