極楽での再会も楽しみに

 先日、学生時代の友人とオンラインで同窓会をしました。画面越しですが、日本全国、世界各地に散らばる友人と顔を見て再会を喜ぶ、それが可能となった技術の進歩に驚きます。

 それぞれ都合があり、時差もあるので参加の時間はまちまち。最初は三人で乾杯。遅れてくる人を楽しみに待ち、増えるたびに乾杯。年を重ね容姿は変わっても、顔を合わせれば当時の雰囲気に戻ります。卒業後の話をしたり、学生の頃のわだかまりを解消したり。「またね」から約三十年ぶりの再会を楽しみました。

 しかし楽しい話ばかりではありません。実際にコロナに感染して不安な日々を過ごしたことや、親しかった先輩が病気で亡くなった話も聞きました。老、病、死......。時が流れるほどに悩み、苦しみも増えるように感じます。そして大切な人との今生の別れ。また会いたいと寂しく思い、安らかであることを願わずにはおれません。

 阿弥陀様は、そうした私たち一人ひとりの苦しみや想いを受け止め、どうしたら救えるのかを五劫という想像を絶する時間をかけて思惟し、兆載永劫という計り知れない長い修行を経て、極楽浄土を構えて下さいました。そしてその安楽な世界へ、誰もができるお念仏で必ず救い取ると誓って下さったのです。その阿弥陀様の慈悲の心を拠り所としてお念仏を称えたならば、この人生の後の極楽往生、そしてそこでの再会もかないます。今生の命を越えての再会の約束、それは阿弥陀様の本願だから成し得ること。

 露の身は ここかしこにて 消えぬとも
 心は同じ 花のうてなぞ

 もうすぐお彼岸。先立たれた方々は阿弥陀様と一緒に見守って下さっています。極楽での再会はいつになるかわかりませんが間違いないこと。それまでお念仏の悦びと共に生き、楽しかったこと、つらかったこと、たくさんの土産話を用意しながら、「極楽からずっと見ていたよ、よい人生を送っていたね」と迎えてもらえるような日暮らしをしたいと思うのです。

本山布教師 専修大志
神奈川教区 正蔵寺