お念仏は幸せの言葉
今年も早いもので1年も半分が過ぎ7月になりました。地方によって違いはありますが7月、8月にお盆・施餓鬼をなさるところが多いと思います。盆供養と施餓鬼会を別々にされるところもあります。ご先祖様、先に亡くなられた方々に我が家にお帰りいただき共に過ごしご恩に感謝して御供養させていただくことは、家族にも私たちにもご先祖様にもありがたく幸せな時です。「南無阿弥陀仏」と称えて先に亡くなられた方々やご先祖様を偲び思い出すことをできる幸せがあります。私たちは阿弥陀仏、ご先祖様に見守られて生きているのです。
私たちは他人や自分に感謝して「ありがとう」と言う時は気持ちがよく爽やかな気分になるものです。阿弥陀仏、ご先祖様に今生きている、活きていることを感謝し常に見守られていることを感じたならば「ありがとう、南無阿弥陀仏」と称えていただければと思います。「ありがとう」の言葉は人に「幸福感」を与えると言われます。人との繋がりと感謝があり幸福感を味わうことができるのです。これは医学的にも証明され「ありがとう」を多く言う方は前向きな生き方をされている人が多いと言います。生きるなら活きた人生を送りたいものです。普段の生活の中で諸々のことに感謝して「南無阿弥陀仏、ありがとう」と称えて1日を阿弥陀様に見守られ過ごしていただければと思います。前向きで幸せな日暮らしができるのです。阿弥陀仏に誰でもが命終わる時にお浄土に自らお迎えに来ていただけるのですから「南無阿弥陀仏、ありがとう」と常に申して生活していけば必ず幸福感を味わうことができると思います。私たちは死後の安楽だけを願っているわけではありません。今を生き、活きて心の安寧ある生活をしたいと願っています。「南無阿弥陀仏。ありがとう」の言葉、祈りは私たちを「独り」には決してすることはありません。「南無阿弥陀仏。ありがとう」を称えて暮らしていただければと思います。
本山布教師 炭屋昌彦
新潟教区 長善寺