仰ぐから始まる信じる心信仰

 ♪あおげば尊し、わが師の恩〜♪

 卒業式の定番「仰げば尊し」もあまり歌われなくなったそうです。子どもたちと先生の関係を見ていると、勉強を教えてくれる兄弟・親子のような感じで、仰ぐという尊敬や畏怖の念は減ったように感じます。

 ある欧米の方が憧れの日本へいらっしゃいました。そして日本文化に触れるべく博物館へ。そこでショックを受け、お寺の和尚様へ相談に行ったそうです。なぜでしょうか......。

 「日本人は博物館で、仏像に手を合わせない。そもそも、信仰の対象である仏像を、なぜ博物館の中に飾っているのか?」

 彼は仏像を、日本人が「信仰心で崇拝する」のではなく、「美術品として鑑賞」することに理解ができなかったのです。もちろん、信仰心をもって博物館へ行く人もいらっしゃいますが、手を合わせ、礼拝する人はほんの一握りでしょう。

 欧米の方の大半が、信仰心を持ち、豊かな心を持った上で、人としての生き方を見つけます。その中で経済を社会活動の中心としています。それに対し日本人は、欧米の方が持ち続けている内面に気づかず、経済・社会活動の上っ面だけを真似して、内面の豊かさ・信仰心を減らし、自らが偉ぶり、自らが謙る「謙譲の心」を失ってきています。

 ご本尊様の阿弥陀様は、いつも私たちを見守り導き、お念仏申す者を誰一人漏らすことなく、極楽浄土へとお救い下さる尊い仏様です。阿弥陀様にお救いいただけなければ、私たちは苦しみの世に生まれ死にを繰り返さなくてはならない身です。自分では覚れない身。だからこそ覚られ、お救い下さる仏様となられた阿弥陀様を「信じ仰ぐ」のです。

 学校の先生を信じる理由は、先生がイケメンだから!とかでは、ないですよね。仏様が国宝の仏像だからでもありません。

 見守り、導き、お救い下さる阿弥陀様に思いを馳せて、お仏壇の、菩提寺の、大本山増上寺のご本尊様に、あなたが謙って手を合わせ、お念仏を申し上げましょう。

本山布教師 武田義親
東京教区 龍泉寺