阿弥陀様からいつも見守られている我が身

 夏の暑さもだんだんと落ち着き始め、秋を感じられる季節になってきました。今月29日には1年のうちで最も月が美しく見えるといわれている〝中秋の名月〞が巡ってきます。

 以前、「伊藤園新俳句大賞」に8歳の男の子が詠んだ作品として次の句が載っていました。

 「お月さま きっとぼくのこと 好きなんだ」

 親御さんと夜道を歩いていた時なのでしょうか。どこに移動しても月がいつも自分のことを見ているような気がして「お月様は自分のことが好きだからずっと見てくれているんだ」と感じたのでしょう。月に対する親しみを子供らしい純粋な言葉で表現したとても微笑ましい句だと思いました。

 普段の生活の中で、私たちが月の存在を意識することはあまりないかもしれません。しかし、空に浮かぶ月は私たちが意識するとしないとに関わらず、どこにいたとしても同じように優しい光で照らしてくれています。それと同じように、阿弥陀様は「すべての者を救いたい」という思いであらゆる世界を慈悲の光明で照らし、「我が名を呼ぶ者はいないだろうか」と目を見回し、耳を傾けて昼も夜も関係なくいつもみんなのことを見守って下さっているのです。ですから、私たちがどこでお念仏を称えたとしても阿弥陀様がお気付きにならないということはありません。

 現代はネオンの光やスマートフォンの光ばかりが街に溢れ、なかなか月の光のありがたみを感じる機会がないように思います。しかし、日本には古くから〝お月見〞という素晴らしい風習がありますね。時にはネオンの光で溢れる喧噪から離れ、スマートフォンを見ていた顔を空に向け、月を愛でると共に阿弥陀様から見守られていることを感じながらお念仏を称え、阿弥陀様が放つ光明を道しるべとして人生を歩んで参りましょう。

本山布教師 武田法應
岩手教区 吉祥寺