事あるごとに......

 深緑も目に鮮やかで風薫る爽やかな季節になってきました。

 草木は芽吹き、花は咲き乱れ、すべての生き物たちが活発に動き出す時です。

 しかしながら思い返してみて下さい。数年前、私たちは行きたいところにも行けず、会いたい人にも会えず、制限された日々を過ごしていたことを。コロナ禍や各地で起こる震災・戦争を通して、今ある日常が「当たり前」ではないことを痛感してきました。

 一方、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」といわれるように、私たちはどんなに苦しいことや辛いこと、またありがたいことでも過ぎ去ってしまうと何ごともなかったかのように忘れてしまう生き物です。そして、心はいつもフラフラ、気持ちも興味もすぐに次に移ってしまうものです。

 法然上人は、そのような私たちの姿をお見通しになって、こうお示し下さっています。

 「ある時には世間の無常なる事をおもひて此の世のいくほどなき事をしれ」

 この「ある時には」は「事あるごとに」と受け取ります。つまり「事あるごとに、この世が無常なのだと受け止め、この私の生涯は束の間なのだと受け止めましょう」という意味です。

 例えば、老いへのどうしようもない寂しさを感じた時。突然の病気でこの先どうなるのかと不安に押しつぶされそうな時。心の通い合った大切な人との今生の別れで胸が張り裂けそうな時。このような厳しい現実や不条理だと感じる事実に打ちひしがれる弱い私たちを、阿弥陀様は必ずお救い下さるのです。そのようなありがたいお念仏のみ教えに今、出会わせていただいたのです。

 事あるごとにこの世が無常なのだと受け止め、お念仏をお称えする日暮らしを共にしていきましょう。

本山布教師 藤浦廣信
兵庫教区 法界寺