法然上人は和語を用いて多くの人に教誨をされていますが、それらの多くが今日に伝えられており、その中でも『一紙小消息』は代表的なご法語の一つであり、今月はこのご法語の一節を選んでみました。

 その内容は、十悪五逆というあらゆる罪を犯した者でも阿弥陀様のご本願により極楽浄土に往生することができると信じて、少しの罪も犯さないように思うべきです。罪人も往生できます。ましてや善人も往生できます。

 このうち罪とは仏法に背くことや、戒律を犯す行為を指します。阿弥陀様のご本願であるお念仏には、阿弥陀様のお覚りの智慧と慈悲の功徳が込められており、最善最高絶対のものです。だから十悪五逆の罪を犯した者でも往生することができるのです。しかしながらどんなに罪を重ねても往生できるのだからといって、罪を重ねてはいけません。なぜならば阿弥陀様が悲しまれ、捨てはしないけれど心を痛めます。これは私たちの親心と同じように考えたいものです。

 さて後半の「罪人なを生る。況や善人をや」という言葉ですが、これは『歎異抄』の「善人なをもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」と比較され、悪人正機は親鸞聖人の教えであるとされてきました。「いわんや悪人をや」とは阿弥陀様は今まさに溺れている人から先に救うということで悪人を正機としているという説であります。しかし近年の仏教研究の成果で、これは法然上人の言葉であったことが証明されています。特に京都真言宗醍醐派総本山醍醐寺三宝院の宝蔵から江戸時代初期に書写され、大正時代に発見された『法然上人伝記』に「善人なほ以て往生す。況んや悪人をやの事、口伝これ有り......」という文書が発見されたことによります。

 たびたび宗教弾圧を受けてきた法然上人は一般的な社会通念に反する悪人正機を正面から主張しないで穏やかな表現をし、大切なことは「口伝」にして伝えたものと思われます。

 いずれにしても阿弥陀様のみ心はすべての人を救うことですから、少罪も犯さないよう生活をしたいものです。それには日々お念仏に励みたいものです。

教務部長 井澤隆明