暑い日が続きます。旧暦のお盆を迎え里帰りの方も多いと思いますが、ぜひお寺とお墓参りをお願いします。

 今月は法然上人述『逆修説法』より選んでみました。これは法然上人の直弟子安楽房遵西の父中原師秀が、生前に自分自身の死後の冥福を祈る逆修法要を、法然上人にお願いした時の説法の筆録です。初七日〜六七日までを法然上人が、七七日は感西が行いました。今月のことばは六七日の一部であるが、六七日では阿弥陀仏の功徳、そして『観無量寿経』の大意が述べられています。

 さて表題の言葉の前に法然上人は、『観無量寿経』の要点は往生浄土を説くことにあると述べられ、続いて今月のことばとなります。

 極楽浄土は私たちの住む娑婆世界とは別に有り、さらに阿弥陀仏は我身を離れておられます。よってこの経は娑婆世界を離れ、阿弥陀仏の国に生まれて覚りに向かう境地を得たいと、願うべき趣旨を明らかにしているのです。

 浄土や阿弥陀仏の理解には、この世界とは別に極楽世界が実在することなどはなく、真の浄土とは真理そのものであり、我が心の中にこそ存在するのであるなどと説く教えもありました。物質文明の中、科学技術の進んだ現代ではそのような考えはより一層強くなっているように思われます。

 しかし法然上人の信じた阿弥陀仏や浄土は、浄土三部経に説示された西方十万億にある浄土で、そこに在します阿弥陀仏なのです。『阿弥陀経』には「これより西方十万億の仏土を過ぎて世界あり、名付けて極楽という。その土に仏ありて阿弥陀と号す」と説かれ、さらに極楽の荘厳が述べられています。このように阿弥陀仏により具現化された仏身や仏土の有相が、釈尊により方角と相を通じて説示されています。法然上人は専修念仏により三昧法得を体験されていますが、これはこの世にいながら阿弥陀仏や浄土を見奉ることができる深い信仰の境地を得ておられるのです。だからこそ娑婆の外に極楽あり、我身の外に阿弥陀在しますと確信されているのです。

教務部長 井澤隆明