残暑の厳しい毎日ですが熱中症などに十分気をつけて下さい。

 今月のことばは「鎌倉の二位の禅尼へ進ずる御返事」より選んでみました。二位の禅尼とは鎌倉幕府の初代将軍源頼朝の妻北条政子様のことで、夫の死後尼御台と呼ばれ、やがて幕府の実権を握られました。法然上人との交流を示すお手紙が『和語灯録』や『四十八巻伝』等に収められています。

 さてその内容は、お念仏を称えることには様々な意義がありますが、南無阿弥陀仏の六字の名号を称えるというたったそれだけの中に、ありとあらゆる意義が込められているのです(『法然上人の御法語(1)消息編』浄土宗総合研究所編訳)。つまり、お念仏を称えるというそれだけの中に仏法のすべてが含まれているということです。

 『無量寿経』によると阿弥陀仏は成仏される前の法蔵菩薩の時に慈悲の心をもってすべての人を救いたいと五劫の間思惟され、世間を超えた四十八の本願という願いを発し、この願が成就しなければ私は仏に成らないと誓って、六波羅蜜等の修行を兆載永劫という無限に等しいような長い期間つとめられました。そして今より十劫の昔、覚りを得て仏となり四十八の本願ことごとく成就しましたが、その中心が念仏往生の本願です。よってお念仏にはあらゆる阿弥陀仏の功徳が含まれているのです。

 また『選択本願念仏集』にも念仏の功徳について次のように記されています。「名号はこれ万徳の帰する所なり。一切の内証の功徳、外用の功徳、皆ことごとく阿弥陀仏の名号の中に摂在せり」と。内証とは阿弥陀仏の覚った心の内面で智慧を表し、外用とは覚った阿弥陀仏が外に向かって活動するはたらきを指し慈悲心のことであります。つまりお念仏には阿弥陀仏の智慧と慈悲のすべてが詰め込まれているのです。

 仏法の一つが念仏なのではなく、念仏が仏法のすべてであるのです。

 法然上人は万行の中から、このようにあらゆる功徳がおさまっているお念仏を選ばれ、専修念仏、念仏一行に徹して浄土宗を開かれたのです。

 尊いお念仏をしっかり称えたいものです。

教務部長 井澤隆明