おかげさまで法然上人浄土宗開宗850年並びに令和6年御忌法要が盛大かつ厳粛に成満しましたこと衷心より御礼申し上げます。
さて今月のことばは『往生大要抄』より選んでみました。このご法語は『和語灯録』に所収され、和語文献中最も長大で内容も高度であり仏教の知識を有した人に説かれたものと思われます。今月のことばはその中、お念仏を申す上での心構えである三心のうちの至誠心について述べられている部分です。
ところで三心については『観無量寿経』に説かれていますが、至誠心・深心・回向発願心という名称だけでその内容については知ることができません。そこで善導大師の『観無量寿経疏』によると至誠心とは真実の心で、真実とは内をむなしくして、外をかざる心なきをいうと述べられています。また法然上人も内も外もありのままにてかざる心なきを至誠心というと説かれており、この至誠心に基づいた生活でありたいものといっております。
ところが私たちは往々にしてうわべだけで、内心と外見が一致しないことが多いように見受けられます。そこで法然上人は今月のことばのように、4つのパターンを示しこれを鏡として自分を見つめてみることが大切とこれを示して下さいました。
1つには外見はいかにも善人で賢そうに見せかける人で、内心は悪人で愚かな人。
2つには外見も内心も悪人で愚かな人。
3つには外見は悪人で愚かに見えて内心は真実な人。
4つには外見も内心も真実な人。
この4つの姿を自分に照らし、特に1番や2番のような煩悩具足の我身であると気付いたならば改めたいものです。何よりもこの気付きが大切です。
よく世間ではあの人はうわべだけで心がない。あの人は何を考えているのかわからない。あの人は言葉だけで心が冷たいなどということがあります。私たちは内外相応して真実の人生を歩みたいものです。それにはお念仏が大切です。お念仏を称えていると不思議に阿弥陀様の慈悲の心が我心に宿るのです。しっかりお念仏を申しましょう。
教務部長 井澤隆明