右往左往
している時ではない
迷わずに
彼岸を目指せ


令和7年9月 ブッダ『ダンマパダ』第85偈趣意より


 ガンジス河、ネーランジャーラー河、カクッター河、ヒラニヤヴァティー河等々。ブッダ(釈尊)の事績を伝える経典を読んでいると、いくつかの河川の名前が出てきます。祇園精舎や霊鷲山、インド北部を中心にブッダにはいくつかの活動拠点があり、ブッダは各地を巡り歩きながら教えを広めていきました。教えを広める旅の途中には、しばしば河川を渡ります。ある経典でブッダがガンジス河を渡る場面が描かれています。満々と水を湛えたガンジス河を前にして、ある人は舟を探し求め、ある人は筏を探し求め、ある人は筏を作ろうとしているなか、ブッダは神通力でも用いたのでしょうか、岸辺から姿が見えなくなると同時に向こう岸に立っていたといいます。それが事実であるのか否かはさておき、他の経典に伝えられるブッダのおことばをご紹介しましょう。

 人々のなかで彼岸に行こうとする者は極めて少ない。その他の者たちは岸の上で右往左往しているだけなのだ。(『ダンマパダ』第85偈)

 仏教では煩悩に支配される迷いの世界を此岸に、煩悩から解き放たれた仏の世界を彼岸に喩えます。ブッダが瞬時に此岸から彼岸に渡り切ったと描くのは、「仏の世界を求めるに1ミリも迷うことはない」と伝えたかったのではないでしょうか。

 仏の世界を求めるに1ミリも迷うなというのは法然上人も同じです。信者におことばを残しています。「ただ急ぎ急ぎ往生せんと思うべき事に候」。南無阿弥陀仏と称えれば阿弥陀仏の極楽浄土に往生がかなうというのが法然上人の教えです。この「急ぎ急ぎ」ということば遣いに、「彼岸を目指すに1ミリも迷うことはない。今すぐ南無阿弥陀仏と称えるがよい」という上人の思いが伝わってきます。

教務部長 袖山榮輝