ひたむきに
打ち込むことを
人々は賞賛する
いたずらに投げ出せば
常に非難される
令和7年10月 ブッダ『ダンマパダ』第30偈趣意より
しばしば出張にでかける私には、お守りのようなことばがあります。「ケサノテハヒクメ」。「携帯」「財布」「のど飴」「手帳」「ハンカチ」「髭剃り」「薬」「名刺」。それらの頭文字を並べたものです。いつも出発ギリギリになって荷造りをしているせいか、何かしら入れ忘れるので、いつも持っていく物を一覧表に並べ、頭文字を口ずさんでチェックしているのです。
それでも別の何かを忘れることがあります。ある出張でのこと、自宅から最寄り駅の寸前まで歩いたところで一つ忘れ物をしていることに気が付きました。「ここで取りに引き返せば新幹線の予約に間に合わないし、忘れたままでも何とかなるかも」と思いましたが、出張先で「忘れちゃいました」と自嘲気味に開き直っている自分の姿が想像され、時間に多少の余裕もあったことから新幹線の予約を変更して、いったん引き返すことにしました。
法然上人のおことばに「その日できなかった分のお念仏を次の日にやろう、というようなこともありましょうが、明日やればいいだろうとはじめから気を許すのはよくないことです」(『往生浄土用心』より)とのお示しがあります。お念仏に限らず、「明日やればいい」は「今はやらなくていい」という了見となり、「今はやらなくていい」を繰り返すと「いつかやる」という了見となり、「いつかやる」を繰り返すうち、結局は「何もやらなくていい自分」を創り出す。そういうことでしょうか。
「明日やればいい」「今はやらなくていい」「いつかやる」という了見に陥りそうなところを「今こそやる」と引き返してこそ、ブッダ(お釈 様)がおっしゃる「ひたむきに打ち込み」「投げ出さない人」になれると思うのですが、私の場合、そもそも出張の前の晩に「ケサノテハヒクメ」と口ずさむ必要がありそうです。
教務部長 袖山榮輝