我 塵を拂わん
我 垢を除かん


令和7年11月 義浄訳『根本説一切有部毘奈耶』より


 落ち葉の季節、箒を手に落ち葉を掃こうとする時、昭和世代の私の脳裏には赤塚不二夫の漫画『天才バカボン』に登場する「レレレのおじさん」が浮かんできます。格子柄の茶色い着物をまとい、箒で小路を掃きながら会う人会う人に「お出掛けですか?」と呼びかける姿、そのモデルがじつはブッダ(お釈迦様)の弟子、チューラ・パンタカだとされています。

 彼は先に出家した兄に憧れブッダの弟子として修行をはじめますが、物覚えが極めて悪い。数か月かけても修行に必要な短い経文一つが覚えられず、弟思いの兄でさえ出家修行を諦めるように諭します。己の愚かさにさめざめと泣き出す彼のもとにブッダが現れ、泣いている理由を知ると、ブッダは彼と仏弟子たちにある提案をします。一つはこの先、彼が仏弟子たちの履物についた土埃を拂うこと。もう一つは、その時、仏弟子たちが彼に「我、塵を拂わん。我、垢を除かん」と唱えさせることでした。彼は愚直にブッダの提案を実践し続けます。するとある晩、彼はふと気付きます。「塵」とは欲望や怒り、分別をわきまえない愚かさといった心の「垢」、煩悩のことではないかと。その瞬間、彼はブッダがいわんとする教えを体得し、覚りの境地に達したと伝えられます。

 覚りとは知識の習得ではなく修行を通じて体得されるもの。法然上人「一枚起請文」の「智者のふるまいをせずして只一向に念仏すべし」にも通じるこのエピソードが広まってか、彼はブッダの高弟、十六羅漢の一人に数えられるまでになりました。

 増上寺三門楼上に十六羅漢像が祀られています。三門の修復工事にともない、現在は慈雲閣へと移されていますが、チューラ・パンタカの尊像は膝の上で手を組み静かに瞑想を深めるお姿です。落ち葉を掃きつつ、そのお姿もまた思い浮かべてみたいと思います。

教務部長 袖山榮輝