人は人として
生まれ難く
死を免れぬ身の
生きているは有り難し


令和8年7月 ブッダ『ダンマパダ』182偈より


 スマートフォンに保存していた写真のデータを確認してみると、撮影は6年前の7月となっていました。カメラは画面いっぱいに広がる暗がりのなか、針の先ほどの小さな、けれども鮮烈な光をとらえていました。我が家の軒先で点滅していたホタルの光です。

 山に囲まれた地方都市に暮らすこの身ですから、ちょっと離れた用水にホタルが出現するポイントがあるとは知っていました。以前にも一度、今にも雨が降りそうな蒸し暑い晩に、そのポイントでホタルが飛んでいるのを見たことがあります。とはいえホタルが我が家にまで飛んできたのは、後にも先にも唯一その時だけ。成虫となって飛べるようになると1週間ほどで寿命が尽き、移動できる距離もさほど長くはないといいます。1匹のホタルが我が家に舞い込むには、いったいどれほどの偶然が重なっていたのでしょうか。ホタルに限らず、生きとし生けるものの一生にはいくつもの偶然が積み重なっているように思います。

 ブッダ(お釈迦様)の教えに、「人は人として生まれ難く 死を免れぬ身の生きているは有難し 正しき教えは聞き難く もろもろの御仏は見(まみ)え難し」(『ダンマパダ』182偈)という言葉があります。せっかくこの世に頂戴した限りある命であるならば、聞き難き正しき教えを求め、見えがたい御仏を求めよ、千載一遇のチャンスを逃すなということでしょう。法然上人にも「うけがたき人身すでにうけたり、あいがたき念仏往生の法門にあいたり」というお言葉があります。

 それぞれの一生は偶然の積み重ねかもしれません。しかし、その偶然に意味を見出していこうとするのがそれぞれの生き方だと思います。6年前、画像に残したホタルの鮮烈な光にも、あるいは日常のささいな出来事にもきっと意味があります。死を免れぬ身であればこそ限りある命を丁寧に生きてみたいものです。

教務部長 袖山榮輝