早いもので師走を迎えることになりました。増上寺でも今月は、伝宗伝戒道場、成道会、御身拭式、除夜の鐘などの行事や、新年を迎える準備に慌しい年末となります。

 さて今月のことばは、建暦二年お弟子の勢観房源智上人にお授けになった『一枚起請文』の一節で、極楽往生をするには南無阿弥陀仏と申して疑いなく、往生するんだと思って申す他には何もありません、という法然上人のお念仏信仰の極みを示したお言葉です。

 法然上人は全仏教を聖道門と浄土門に分け、聖道門を閣しおいて浄土門を選び、さらに浄土門を浄土往生にかかわる正行と、そうでない雑行に分け、雑行を抛って正行に帰せ。さらに正行を念仏申したくなるはたらきの助業と、念仏申すそのことを正定業として分け、助業を傍にして正定業に帰すとされたのであります。全仏教を念仏一行に純化統一し、全仏教の心髄こそお念仏と定められました。

 このお念仏を信じ実践していくことを強く勧められ『一枚起請文』の結語も「ただ一向に念仏すべし」とお念仏を称えていくことが最も肝要であると再度強調されています。

 思えば宗教は理屈で理解するものではありません。理屈で納得するのは学問であり、宗教はその中心に不可思議な世界を含み、それを信じ実践していく中で受け止めていくものです。宗教は主体的事実であり、本質は他人ではなく客観的なものでもなく、私自身が主体的に信じ実践していくものです。

 法然上人は三昧発得をされた善導大師に深く帰依されました。法然上人自身も日々三万遍、晩年には六万遍といわれる称名念仏を通して阿弥陀様や浄土の姿に目見える三昧発得をされ、この事実が念仏信仰に生きる源泉となっていたと思われます。

 「信ずる者は救われる」、古来よくいわれる言葉ですが、これ真実であります。しっかりお念仏を信じ称えてまいりましょう。

教務部長 井澤隆明