鉄錆は鉄から生じ
生じた鉄錆が
その鉄を腐食させる
同様に
節度なく振る舞う者は
自らの行いが
自らを悪しき世界に導く
ブッダ『ダンマパダ』第240偈
数年前、近所のホームセンターで園芸用の裁ちバサミを買いました。庭の草花が枯れ始め、少し手を入れようと思ったのです。とはいえ一度手を入れたあとは、「また近々」と思いながら、結局は放置するばかり。「またすぐに使うから」と庭先に置きっぱなしの裁ちバサミも気が付けば錆だらけ。置きっぱなしするにも度が過ぎていたようです。
錆は鉄が水分や酸素と結合して酸化したものです。錆が進行すると鉄そのものを腐食させていきます。鉄から生じた錆が鉄自身を滅ぼしていく。
「身から出た錆」といいますが、洋の東西を問わず古人は、自らの行いが自らを滅ぼしていくひとつの教訓として鉄と鉄錆を取り上げています。ブッダ(お釈迦様)もその一人でした。
ブッダはある仏弟子の振る舞いについて語ります。具体的な詳細は省きますが、仏弟子といえども欲があり、自らの欲望に飲み込まれまいと身を固く慎んでいても、少しくらいはいいだろうと隙が生じることがある。しかし、その少しくらいが度を過ぎるうちに当たり前となり、それに執着するようになって自らを縛りつけ悪しき世界に陥ってしまう、というのがブッダの言わんとするところでした。ブッダはその仏弟子に関する救いも語りつつ、冒頭のおことばを説き示されたのでした。
人間である限り欲がわいてくるのは致し方ありません。しかし、度が過ぎてはいけません。法然上人のおことばが伝わっています。「分にしたがいて悪業をとどめよ、縁にふれて念仏を行じ往生を期すべし。悪人をすてられずば、善人なんぞきらわん」(「登山状」より)。「少しくらい」の度が過ぎないように踏み止まる、その節度が大切なのです。
ちなみに例の裁ちバサミ。錆びついたままですが、今も重宝に使っています。
教務部長 袖山榮輝







