今月のことばは法然上人が七十四歳の時、南都興福寺の念仏停止運動が続く中、朝廷に仕える鈴虫、松虫という女性が無断で出家してしまう事件があり、翌年弟子の安楽と住蓮が死罪、法然上人は四国へ流罪となった、いわゆる建永の法難が起こりました。この時の様子が『一期物語』の第六話「遠流のこと」に記載されています。この物語は京都市伏見区にある真言宗醍醐寺三宝院で大正時代初期に発見された法然上人の伝記の冒頭の部分で『法然上人伝記附一期物語』となっています。附と記されているので、醍醐本法然上人伝記の附録との意味があるものと思われ、二十話が収録されています。

 さて流刑地に旅立つ法然上人と見送りの人たちの最後の別れの様子が記述されておりますが、この一部分を今月のことばに致しました。

 現代文にすると、弟子の西阿様が「お経やその注釈書に、ただお念仏を申しなさいと示されているが、それをこのまま続けていると世の中にそしられ、きらわれるばかりでしょう」と暗に専修念仏の教えを説くことをしばらく止めてはいかがでしょうと申し上げると、法然上人は「私はこの首をはねられようとも専修念仏の教えを説くことを止めません」と強く言われました。その顔には一点の迷いもなく信念に満ち、誠の心があふれており、一同皆感動して涙を流されました。

 ここを読む限り西阿様や周りの弟子までもが弾圧を恐れ、軸足を世間において、法然上人の教えの核心部分を否定していたのです。これに対するご返答の言葉ほど法然上人の厳しい信仰態度を表しているものはありません。念仏があらゆる世間的な価値を超えた絶対的なものであり、力であったのです。

 私たちはどうでしょうか。世間に流されたくさんの情報や知識に埋没してそれを見失ってはいないか、よくよく自分を見つめて見る必要があります。うわべだけの信仰ではないか、決定してお念仏を称えてみたいものです。

教務部長 井澤隆明