今月のことばは『三部経釈』より選びました。

 この書は浄土宗第三祖良忠上人の弟子で一条派の派祖了慧道光上人編の『和語燈録』巻一に収められています。

 平家によって焼かれた奈良東大寺の大仏殿の再建を果たされ、自ら南無阿弥陀仏と号された俊乗坊重源様の要請に応じ、文治六年(1190年)東大寺において法然上人が浄土三部経を講説した際の講録とされており、今日諸本が伝えられています。

 少し前後の関係を入れて現代文にすると、阿弥陀仏の名号を称えることによって往生することができるということを信じないとすれば、阿弥陀仏の誓願も釈尊の三部経の説も無意味であってその霊験はありません。仰いで信じましょう。
念仏往生の教えという良薬を手に入れながら服用しないで死ぬことがないようにしなければなりません。

 さて釈尊の教誨に次のようなものがあります。ある時毒矢を身体に受けた人が、急いで治療しなくてはいけないのに、現状をよく理解してからと、どの方向から誰が矢を射ったのか、傷の程度は、毒の種類は何か、どんな薬が良いか等、いろいろ納得した上でないと治療してはいけないと調べているうちに、毒が回り当の本人が死んでしまったという話です。本来は急いで矢を抜き、毒消しの薬を塗り傷の手当てをするべきでしょう。

 貪・瞋・痴という三毒煩悩に染まっている私たちに阿弥陀さまは慈悲の心をもって、お念仏という素晴らしい良薬を与えて下さいました。自分で納得してから良薬を飲むのではなく、急いで飲まなければ手遅れになってしまいます。それには仰いで信ずべしという心が大切であります。

 阿弥陀さまは遠い遠い昔よりお念仏という素晴らしい良薬を示し、「我が名を称えよ」と呼びかけておられます。ゆめゆめ称えず死んではなりません。

教務部長 井澤隆明