法然上人は中国の善導大師の『観無量寿経疏』を引用されて、浄土に往生したいと願う者が発さなければならない三つの心(至誠心 [しじょうしん] ・深心 [じんしん] ・廻向発願心)について『選択本願念仏集』や多くのご法語にて数多く説かれています。このうちこの度は至誠心についてお話をしたいと思いますが、比較的わかりやすい文章が「大胡の太郎実秀へつかはす御返事」にありましたので今月のことばにしました。

 大胡の太郎実秀は上野国大胡(群馬県前橋市)に在住した御家人で、法然上人に帰依された人でありました。京都に在住していた折に教化を受け、国に帰ってからも不審に思ったことを尋ねられたことに対する法然上人の御返事の手紙(消息)が記録され残っています。

 今月のことばは、至誠心というのは真実の心のことである。真実というのは、内に包み隠すところがなく、外に飾る心がないのをいうのである、ということであります。善導大師は至は真であり、誠は実であると述べられており、法然上人もこれを踏襲されています。つまり至誠心とは真実心のことであります。さて真実の反意語は虚仮であり、虚仮とはうそ、偽りのことであさましい愚かなことであります。このように至誠心は真実心であり、それはうそや偽りなど心の中に包み隠すものがなく、外にそれらを隠して飾ることがないことをいうのです。

 しかしながら私たちは、内は愚かでありながら、外には賢い人と思われたい。内に貪欲な心を持ちながら、表面は和やかな風情をし、内に悪を作りながら、外には善人らしく見せ、内には怠け心を抱きながら、外には精一杯励んでいるふりをしていませんでしょうか。

 このように内外共に至誠心の心(真実心)を持つことはなかなか難しいことであります。しかし法然上人はありのままで念仏すれば必ず往生し救われていくと申しております。

 自分の至らなさに気付きつつ、しっかりお念仏を申してまいりましょう。

教務部長 井澤隆明