今年は厳しい冬が続きましたが、いつしかお彼岸の季節を迎えることになりました。
今月末には境内の桜も開花し春本番を迎えます。

 さて今月のことばは、大胡の太郎実秀が妻室のもとへつかはす御返事から選んでみました。大胡太郎実秀は上野国大胡(前橋市)に住み、鎌倉幕府の御家人で上京の折法然上人の門弟となり、帰郷後は消息(お手紙)を通して教えを受けておりました。この消息は法然上人が実秀公の妻に宛てた返信で、往生極楽には念仏に勝る行はないことを懇切に述べられたものの一部であります。

 内容はそのままでご理解いただけると思いますが、浄土宗ではお釈迦様と阿弥陀様をどのように受け止めているか述べてみましょう。毎日の勤行の回向文にて「奉酬大悲願王阿弥陀仏・大恩教主釈迦牟尼仏」とお唱えするように、仏の慈悲を具体化したご本願をもって我々を実際に救済していただく仏が阿弥陀様で、お釈迦様はそのことを我々に教えていただいた大きなご恩がある仏であると受け止めています。お釈迦様は浄土三部経を説いてお念仏を称えなさ いと勧めていただいているのです。

 この浄土三部経のうち『無量寿経』の序文を拝読致しますと、この経を説くに当たりお釈迦様は普段と違って光り輝き神々しいお姿であったので、不思議に思った阿難尊者がその理由を尋ねると、お釈迦様は「仏々相念」の徳を行じているからであると答えられます。この「仏々相念」ということは、過去、未来、現在の諸仏は仏と仏と相念じたもうているということです。

 まさに今『無量寿経』を説くということは、弥陀釈迦二尊が一体となってすべての人を救うため本願念仏の教えを示されるということで、この尊いみ教えを伝えるためにお釈迦様は光り輝いて神々しいお姿になっておられるのです。 二尊のおん心にかなうようにしっかりお念仏を申してまいりましょう。

教務部長 井澤隆明