今月は法然上人の『禅勝房にしめす御詞』より選びました。

 わずかに一遍や十遍の念仏でも往生できるのであるからと、念仏を疎相に称えれば信心が念仏を妨げます。また念仏を常に忘れないように称えるべきといって、一遍や十遍の念仏では往生できないのではと疑っては、お念仏が信心を妨げることになります、という内容で信行双修の立場を明確に述べています。

 近年仏教書ブームでたくさんの書籍が本屋さんのコーナーを占め、当然浄土教についての本も多く見かけます。その中に絶対他力という言葉が述べられ、阿弥陀様の本願は十劫の昔に成就しているのだから、私たちは既に救われているのであり、ただ気づかないだけである。だから本願の救いに気づきそれを信ずることが大切で、この信が確立した時に往生は決定するのです。だから往生のための念仏ではなく、往生が決定した後の念仏は感謝の念仏なのです。という内容で信ずることの大切さを述べている本もよく見受けられます。

 法然上人も『選択本願念仏集』において「涅槃の城には信を以って能入す」と信の大切さを述べられつつも、今月のことばのように信と共に行の大切さを説かれ信行双修の立場に立っておられます。

 それは人間皆凡夫であり、なかなか阿弥陀様のご本願を素直に信じきることができない存在であるという人間観によるものです。

 私たちは日常においても、夫婦・家族・社会いずれの生活も信頼が基本であるべきなのに裏切りや嘘、騙しがまかり通り、真実の生活が続けられない凡夫そのものの暮らしで、信じることの難しさを痛感するばかりです。だからこそ声に出してみ名を呼び、思いを阿弥陀様に向けていくべきで、行が信を深め信が行に励みを与えていくのです。

 「阿弥陀ほとけ、われを助けたまえ」と阿弥陀様のご本願にすべてを委ねて申す念仏は絶対他力のお念仏なのであります。

 しっかりお念仏を申してまいりましょう。

教務部長 井澤隆明