この御法語は大正6年に京都の真言宗醍醐寺で発見された法然上人の御伝記の中に収録されているもので、最後尾には「善人なおもて往生す、況んや悪人を乎の事、口伝これあり」の一文があることで知られています。
この一文により現在では、悪人正機説は法然上人の説とする見解が多く見られます。

 現代文にすると、お念仏を称える人は自分を偽ったり飾ったりすることなく、ただ生まれ付きのままで称えて下さい。善人は善人のまま、悪人は悪人のまま、本来の自分の身のままで称えて下さい、となります。このように法然上人は阿弥陀様の大慈悲は万人平等に注がれており、どんな人でも念仏を称える人はすべてお救いいただけるのです。自分を飾ったりしないで、ありのままの自分そのままでお称えして下さい、と述べられています。

 私たちは普段は、他人に自分を良く思われたい、良く見せたい、良く見られたいとの自意識が強く、学歴や地位、名誉、財産を背景にしたり、衣服やファッション、化粧に至るまで自分を飾って生きています。さらに外見だけでなく本当の自分の心を隠し偽って良い人を演じて生きてはいないでしょうか。法然上人は往生にはそんなことは何一つ必要なく、善人も悪人もそのままでお称えして下さいといわれているのです。

 さてここで善人と悪人について少し考えてみましょう。一般的な社会常識や理解と宗教的理解は少し違うところがあり、これこそが宗教の持つ特色であります。例えば悪人とは一般的には犯罪や様々な罪を重ねる人のことを指します。しかし浄土教的には煩悩具足の人間であるということを自覚している人が悪人で、深く自省することなく自分は罪を犯さず、真面目に生きていると思っている人を善人といいます。仏様の慈悲は平等なのだけれども、今悩み苦しんでいる人を先に救うというのが悪人正機ということです。

 しかし法然上人は悪人でも善人でもその身そのままで念仏を申せば、みな共に往生し救われていくのですと、阿弥陀様の大慈悲であるご本願が別け隔てのない絶対平等なることを示されているのです。しっかりお念仏を申しましょう。

教務部長 井澤隆明