桜から新緑の美しい季節となりました。

 今月のことばは『勅修御伝』第28巻より選びました。法然上人の伝記は数多く現存するが、その中でも最大で、なおかつ後伏見上皇の勅を奉じて制作されたので『勅修御伝』、また図画を加えてあることから『法然上人行状絵図』、48巻より構成されているので『四十八巻伝』などともいわれています。

 さて、この巻は武蔵国の御家人津戸の三郎為守が建久6年(1195年)、東大寺再建の落慶法要に将軍源頼朝のお供を致します。その折に為守は京都にて法然上人の教えを受け念仏の行者になったことや、帰郷後念仏の教えの疑問などを手紙にて法然上人に尋ねられ、そのご返事などを中心に構成されています。

 その一節が今月のことばですが、仏のみ心は大慈悲をもって本体とするのです。それゆえ『観無量寿経』には、仏の心は大慈悲そのものであると説かれているのです、となります。

 慈悲については古来仏や菩薩が生きとし生ける者を憐れみ慈しむ心、また他者に対する共感の心情で、他者に楽を与える慈(与楽)と他者の苦を抜く悲(抜苦)であるといわれています。初期経典である『スッタニパータ』には慈について、あたかも母が命をかけて子供を護るように、一切の生きとし生ける者に対して無量の慈しみの心を起こすべし、と説かれています。また悲は悲しみを共有することで大悲同苦や大悲同感の同情する心を一切の人にもつことになります。

 浄土教では救済者としての阿弥陀仏の慈悲は絶大で大慈悲と大を付けて表現します。阿弥陀仏はこの大慈悲の心をもて四十八の誓願を発し、ことごとく成就された仏ですから、四十八願中王本願といわれる念仏往生の願は大慈悲心を根本としているのです。

 文字で書けば6文字、声に出して称えれば1秒のお念仏ではありますが、その本体は阿弥陀様の大慈悲心そのものなのです。

しっかりお念仏を申しましょう。

教務部長 井澤隆明