迎春 本年も阿弥陀様の慈光に浴し、コロナ禍を乗り越え良き歳でありますよう念じております。

 新年最初の今月のことばは、法然上人が常々多くの人に語りかけた言葉を集めた「つねに仰せられける御詞」より選びましたが、本来このご法語の前段には次の一文が挿入されています。「仏阿難に告げたまわく、汝好くこの語を持て、是の語を持てとは、即ち無量寿仏の、名を持てとなり」という『観無量寿経』の一節があり、法然上人はよく人々に向かってこの経文を読み上げておられたようです。

 さらにこれに続くのが今月のことばで、阿弥陀様の名号を聞くとしても、念仏往生を信じなければ、聞かないのと同じことです。たとえ信ずると言っても、お念仏を称えなければ、信じていないのも同然です。ただいつもお念仏を称えて下さいと語り聞かせておられたのであります。

 『観無量寿経』を説かれたお釈迦様は、最後に阿難様に向かって無量寿仏の名、つまり念仏を持てと伝えられたのでありますが、法然上人はこのことをとても大切にされており、今月のことばに続くのです。

 どんなに南無阿弥陀仏の名号について、その意味を聞いて学んで理解しても、信じられなければ何にもなりません。
また言葉で信じると言っても、念仏が称えられなければ信じていないということです。

 『大智度論』に「仏教の大海には信をもって能入す」とあるように、宗教は信ずるということが大前提でありますが、これがとてもとても難しいことなのです。私という自我が邪魔をし仏にすべてを委ねることができず信じられないのです。

 だからこそ法然上人は、お釈迦様が無量寿仏の名を持てと仰ったことは、念仏を申していくことと受け止め、自らも実践し多くの人にただ念仏すべきものなりと勧められました。しっかりお念仏を申しましょう。

教務部長 井澤隆明