今月のことばは、法然上人がいつも話されていたことを集めた『つねに仰せられける御詞』より選びました。とても有名な言葉で皆様もよくご存じのことと思います。

 ところで、私(教務部長・井澤)の自坊(山形のお寺)で今年初めて亡くなった人は享年100歳、次の方が99歳、続いて97歳、98歳と高齢の方が続いており、まさに長寿社会が現実となっていることを実感致しております。普段は俗に「ピンピンコロリ」で旅立ちたいなどとよく申しておりますが、臨終のご縁も人様々です。100歳の方は足が不自由なので家族の介護を受けつつ自宅で大往生、98歳の方は夕食を済ませて睡眠そのまま大往生、97歳の方は自宅で療養中、奥様の四七日忌の法要に息子夫婦が寺詣りをして戻ったところ大往生をしておられました。いずれも熱心な念仏者であったことは申すまでもありません。

 ところが99歳のお方は、めったに外出することもなく、家庭を守り家業である農業に従事して静かに暮らした生涯でした。地域社会ともあまり交わることもなく、寺詣りもほとんどありませんでした。しかしながら99歳まで病気一つもせず、最期は昼ご飯を食べていてそのまま大往生をされました。ご近所の老人たちがあんな信仰の薄い人でも大往生ができるんだとしばらく話題になりました。ご子息は医者にもかからず、介護施設にも世話にならず、家族にも迷惑をかけず旅立ったのだからお葬式は盛大にしようと、近頃にはないにぎやかな葬式となりました。まさに前世の功徳が因縁となったのでありましょうか。

 死の縁は無量と申しますが、私たちもいつどのような往生となるかもしれません。今月のことばそのままに旅立った99歳のおばあさんの枕経に出向いた時、阿弥陀様の広大な慈悲と法然上人のお言葉がとてもありがたく感じられお念仏を申させていただきました。

 無常の中に生きる私たちであればこそ、日々しっかりお念仏を申してまいりたいものです。

教務部長 井澤隆明