今月のことばは『選択本願念仏集』本願篇より選びました。内容は、念仏は容易であるのであらゆる人に通用し、諸行は困難であるからあらゆる人(諸機)に通用するわけではありません、となるでしょう。

 法然上人は阿弥陀仏がなぜお念仏を本願とされたかについて次の二義を示されます。
一つには勝劣の義、お念仏は阿弥陀仏の万徳の帰するところであるので勝(すぐれている)、諸行はそうではないので劣(おとっている)であり、また難易の義としてお念仏は修し易く(たやすい)、諸行は修し難い(むずかしい)からですと説かれています。だから阿弥陀仏は劣を捨て勝を取り、さらに難を捨て易を取って念仏を本願とされたのだと示されました。ではなぜに阿弥陀仏はこのような選択をされたかと申せば、それは一切衆生を平等に往生せしめんがためであると述べられています。『選択本願念仏集』には次のように記されています。

 「然ればすなわち弥陀如来、法蔵比丘の昔平等の慈悲に催され、普く一切を摂せんが為に、造像起塔等の諸行を以って、往生の本願としたまわず、ただ称名念仏の一行を以って、その本願としたまえる」と。

 ここに今までにない勝れており簡単で易しい、そして誰もが救われる仏道修行が示されたのであります。まさに自利利他・万機普益の大乗仏教の精神が凝縮されており、その根本は仏の徳目である慈悲と智慧の発揚なのであります。

 法然上人は私たちに備わっている煩悩は目鼻と同じで決して取り除くことはできないものと述べられています。煩悩具足の私たちは崇高な仏道修行を達成することは困難であります。だから煩悩を滅して救われてゆくのではなく、煩悩あるがままに阿弥陀仏の慈悲にすべてを委ね、念仏を称えて救われてゆく本願念仏の教えこそが法然上人の求められた仏道なのです。

教務部長 井澤隆明