今月のことばは法然上人撰『浄土三部経釈』の一節を選んでみました。法然上人は文治6年(1190年)に源平の戦いで焼失した東大寺大仏殿の再建勧進職を務めた重源上人の求めに応じ、東大寺にて浄土三部経の講説を行いましたが、その時の講録がこの書です。

 内容は阿弥陀如来は法蔵菩薩という修行時代(因位)、私の名号(名前)であるお念仏を念ずる者を、私が建立する極楽浄土に必ず迎えると誓ってその実現のため永い永い(兆載永劫)修行を行いました。そしてその修行の功徳のすべてをあらゆる人々に差し向け(回向)られたのであります。

 ところで今月のことばの最後にある回向とは、一般的にご先祖様を供養することや、回向料などと書いて法要の折りに寺に納める金銭を指しますが、本来は方向を転じて向かうことや、自分が行った善を巡らせ翻って他人に差し向けることをいいます。まさしく大乗仏教の利他の精神を表す言葉であります。

 阿弥陀如来は念仏往生の本願や四十八願のすべてを完成させ、その功徳をすべての人々に差し向けておられるのです。ただ私たちは煩悩具足の凡夫であるので阿弥陀如来が一方的に回向して下さっている慈悲の心に気付かず自己中心的に生きているのではないでしょうか。まるで親の愛情を一心に受けているのに、そのことに気付かずわがままに生きている子供のようなもので、「井の中の蛙大海を知らず」の諺のようです。

 本来は阿弥陀如来の慈悲の光明に包まれている自分をしっかりと受け止めていただきたいのですが、それにはお念仏を申していただくのが何より肝要です。お念仏には阿弥陀如来のみ心のすべてが凝縮しているのですから。

 しっかりお念仏を申しましょう。

教務部長 井澤隆明