想い想われナムアミダ
「風のないある晴れた穏やかな日、いつものようにお墓に向かって話しかけると、カタ、カタ、カタカタとお塔婆の音がした。とっさに母だと思った。」
先日の新聞の投稿である。その女性はお墓参りに行き、亡き母に様々な今の想いを詳細に語る。心身のバランスを崩した高校生の息子は本人の努力と周囲のおかげでなんとか卒業できそうだよ(ホッ)。お母さんもきっと喜んでいるはず(ネッ)。でも親としての悩みは尽きないよ(ハァ)。いつも見守ってくれてありがとね(ニコッ)。などなど思うままをたくさんに。
場所に限ったことではないが、特にお寺の本堂、本尊の御前やご先祖の墓前には光やいのちが凝縮されている。そこに身を置き、阿弥陀様、先に極楽に往生された大切な方々に向かって掌を合わせ、想いを伝え、想いを受け取ることは、苦の世界に生きる我々にとってかけがえのない支えとなる。飾ることのないありのままの自身の状況を南無阿弥陀仏の六字の名号に乗せてお称えし、しかと伝える。而して大慈大悲阿弥陀如来、また菩薩・仏となって心から我々の幸せを念じて下さっている往生人の方々からの確かなお守りをしっかりと受け取る、感じ取る。それを〈糧〉として今の自分を見つめ直し、明日へと続く人生を少しでも元気に生きていく。これこそがありがたくも尊いお念仏の働きなのだ。
女性は生前の母から励ましの言葉をかけられたことはないという。でも......この日の母は何かを伝えようとしてくれたのだと思う、と綴る。投稿記事の最後は以下のような台詞で締めくくられる。
「この先の困難も乗り越えられるような力を、そっともらった気がした。」
御仏・ご先祖に心からの南無阿弥陀仏を称え、己が功徳を積み上げ、報恩感謝と共に差し向ける。それに応じて必ず寄り添い、泣き、笑い、見守っていただける。そのド真ん中にあるお念仏を日暮らし日暮らしにお称えして参りましょう。
父の形見の腕時計 相づちのごと ピッと鳴る
本山布教師 布村伸哉
東京教区 專念寺







