阿弥陀様へ届くお念仏

 先日、ある親子のやりとりが気になり、しばらく様子をみることにしました。 3歳くらいの男の子を連れた母親は自宅マンション入り口の郵便受けを開けている最中でした。

 その中に不在票をみつけた母親は「すぐ戻るから、先に玄関の前で待っててね」と息子へ伝えましたが、話しかける母親の顔はすでに道をはさんだ配送センターへ向いていましたので、その言葉は息子には届いていないようでした。突然走り出した母親を追いかけ、息子も走り出しました。危なくその子が道へ飛び出しそうになった時母親は荷物を抱え戻ってきました。

 そして息子の姿を見つけ「家に帰ってなさいって言ったでしょ! 車にひかれたらどうするの!」とひと言。なぜ叱られているのかわからないという様子の息子の手を引き、マンションの中へと入っていきました。

 母親は確かに息子に家に戻るよう、伝えていました。しかし、息子には少しも伝わっていなかったのです。

 伝えるということの目的は、そのことが正しく相手に伝わるということであり、逆をいうと、伝わらなければ、伝えていないのと同じことでもあるのです。このことを改めて実感させられた出来事でありました。

 お念仏のみ教えも同じことで、どれほどお称えしたとしても、その声が阿弥陀様に届かないのであれば、称えていないのと同じことであります。

 法然上人が明らかにされた、浄土宗の信仰とは、阿弥陀様の「我が名を称えるものを、必ず我が浄土へ救い取る」と誓われた本願を心より信じ、西方極楽浄土へお救いいただくため、ただただ南無阿弥陀仏とお念仏申すことであります。

 つまり信じお称えするお念仏が阿弥陀様に届くお念仏なのです。

 そして法然上人はこの「信じる、称える」という二つを備えるため、お念仏を相続していくことをお勧め下さっております。

 阿弥陀様へお念仏の声がしっかり届きお救いに漏れることのないよう、精一杯お念仏とともに毎日を暮らして参りましょう。

合掌

本山布教師 日向哲空
東京教区 祐天寺