今、この時を大切に

 昨年の夏頃、コロナ禍以前に時々法話をさせていただいていた、地元の老人会より久しぶりに法話の依頼がありました。会場である公民館に着くと代表の方が、「まだコロナが蔓延する中、本当でしたらこのような集まりは自粛すべきなのかもしれません。ただ、私たちのほとんどは80歳を過ぎた会員です。コロナの終息を待っていたら、もう二度と会うことのできない方がたくさん出てしまうかもしれません。今、この時を大切にしなければ。そう皆で話し合ったのです」と、切実におっしゃいました。

 「人の命は明日をも知れない」。私は、そのことを頭では理解しているつもりでも、ついつい「明日やればいいや」と、後回しにしてしまうことが多々あります。「今、この時を大切にしなければ」。その言葉にハッとさせられ、我が身を反省しました。

 さて、法然上人の詠まれた御歌に、『阿弥陀仏と 十声称えて まどろまんながきねむりに なりもこそすれ』このような御歌があります。「私たちの命はいつ終わりが訪れるのか誰にもわからない。だからこそ、一日の終わりに極楽往生を願い、いつでも阿弥陀様のお迎えをいただけるように、お念仏を称えてから眠りにつきましょう」という、法然上人の教えになります。

 私たちは、どんなに若くて健康な人でも、不慮の事故や突然の大災害など、必ず明日を迎えることができる保証はどこにもありません。ですので、いつも今日が最期の日かもしれないと思い、お念仏をはじめ、仕事や趣味、大切な人との時間など、今日できることは先延ばしにせず、今この時を大切に過ごさなければなりません。

 令和4年、新しい年が始まりました。今年もコロナの影響により、制約の多い年になるかもしれません。感染拡大防止を最優先にしつつ、その中でもできることがあれば一日一日精一杯に取り組み、共に実りある一年にしてゆきましょう。

本山布教師 林 泰裕
静岡教区 廣渡寺